沿革
1950年(昭和25年)11月創業
資本金 500万円
社 名 大有商事株式会社
社 長 宮永 進
本 社 東京都中央区西八丁堀1丁4番地神鋼ビル内
工 場 東京都江東区南砂町4丁目625番地
(株)神戸製鋼所社長浅田長平氏の要請により鋼屑の集荷業務を開始する。
1951年(昭和26年)
スクラッププレスを導入する。
1952年(昭和27年)
仮締め機開発により、月産1000トン達成。
1953年(昭和28年)
三菱鋼材(株)に鉄屑の納入を開始する。
1953年(昭和28年)
ドラム缶運搬車「ドラムポーター」を考案、製造販売を開始する。
1953年(昭和28年)8月
転造機を開発し、セメント粉砕用シルペッブの製造を開始、日本セメント(株)に最初に納入する。
続いて、秩父セメント(株)、電気化学工業(株)、第一セメント(株)、日立セメント(株)、に納入する。
1953年(昭和28年)
東京都より発明奨励金を受ける。
1954年(昭和29年)2月
第6回東京都優秀発明展でドラムポーターが努力賞を受賞。
1954年(昭和29年)
足踏みフォークリフト「ポーターリフト」を考案、製造販売を開始する。
1954年(昭和29年)
通産省より発明実施化試験費を交付される。​
1954年(昭和29年)7月
全日本発明展でドラムポーターが表彰される。​
1954年(昭和29年)
シルペッブ焼入れ油槽火災。​
1955年(昭和30年)​
大阪に直売店を設け、関西地区の販売を行なわせる。​
1955年(昭和30年)​10月
第9回発明展でドラムポーターが発明協会長賞を受賞。​
1957年(昭和32年)12月
日本アイソトープ協会にポーターリフト及びドラムポーターを納入。原子力関係に進出の最初である。​
1958年(昭和33年)
ドラムグリッパーを考案、製造販売を開始する。
1960年(昭和35年)11月
茨城県古河市に土地取得。
1961年(昭和36年)2月
創立10周年記念式典挙行。
1961年(昭和36年)7月
名古屋に直売店を設け、中京地区の販売網を開始する。
1962年(昭和37年)
資本金800万円に増資する。
1962年(昭和37年)4月
8日、本社移転。東京都千代田区神田駿河台1-2 馬事畜産会館内
1962年(昭和37年)4月
ポーターリフト「エコノミカ」を発売する
1962年(昭和37年)6月
セメント粉砕用特殊工法スチールボールの製造を開始する。
1963年(昭和38年)4月
菊池武英、ドラム缶運搬装置の発明により、発明協会発明賞を受賞。
1964年(昭和39年)2月
取締役社長 宮永進、多年発明考案の実施化に協力した功労により、東京都より表彰される。
1964年(昭和39年)5月
名古屋営業所および名古屋製作所を設ける。
1964年(昭和39年)6月
タンブルリフトを考案、製作販売を開始する。1号機を宮田工業(株)に納入する。
1964年(昭和39年)
物資活用部を設け、三菱製鋼(株)の格下げ銅材の取扱を始める。
1964年(昭和39年)11月
能率協会P.M優秀製品賞を受賞。(ドラムポーター、ポーターリフト)
1965年(昭和40年)3月
科学技術庁より、発明実施化補助金の交付をうける。
1968年(昭和43年)4月
宮永進、科学技術振興功労により、勲五等雙光旭日章を授かる。
1968年(昭和43年)10月
西宮市に西宮営業所を開設。
1969年(昭和44年)3月
鉄屑部門が分離独立し、(有)三友商事設立。
1969年(昭和44年)4月
平塚市に湘南営業所を開設。
1969年(昭和44年)
動燃事業団 大洗(古川電工(株)経由)に特殊な運搬車を納入
1969年(昭和44年)8月
社歌「大有の歌」(宮永進作詞)ができる。
1970年(昭和45年)5月
リンクカップリングの製造販売を開始する。
1970年(昭和45年)11月
創立20周年記念式典挙行。
1973年(昭和48年)5月
東芝(株)砂町工場に自動定量秤量機納入。自動省力機械に初めて参入。
1974年(昭和49年)12月
三菱石油(株)水島の重油流出事故で、ドラムグリッパーが大活躍。
1976年(昭和51年)2月
名古屋製作所新工場が完成し、名古屋営業所も同時に移転する。
1976年(昭和51年)3月
動燃事業団にふげん用集合体運搬車納入。
1976年(昭和51年)5月
日本原子力発電株式会社。敦賀原子力発電所(日本碍子(株)経由)に特殊タンブルリフト納入。
(日本ガイシ(株)の原子力産業への進出に協力し、原子力発電所の設備への進出の足掛りとなった。)
1976年(昭和51年)8月
フォークリフト用ドラムグリッパーオート型を考案、製造販売を開始する。
1978年(昭和53年)12月
連続切削油分離機を考案、製造販売を開始する。1号機を藤生製作所に納入する。
これにより藤生製作所は省エネにより群馬県知事賞受賞。
1979年(昭和54年)10月
菊池武英、科学技術の研究業績により東京都より表彰。
1980年(昭和55年)2月
菊池武英、社長に就任。宮永進、会長に就任。
1980年(昭和55年)7月
7日、宮永進会長逝去。社葬を執り行う。
1980年(昭和55年)11月
創立30周年記念式典を行う。
1980年(昭和55年)12月
東京製作所新工場完成。
1981年(昭和56年)4月
菊池武英、ドラム缶リフト運搬車の考案改良の成果により、黄綬褒章を授かる。
1981年(昭和56年)11月
ドラム缶カッターを考案、製造販売を開始する。
1982年(昭和57年)2月
マックス精機(株)にチップクラッシャー付切粉脱油装置を初めて納入。
1982年(昭和57年)11月
西宮営業所を関西支店に所名変更。
1983年(昭和58年)2月
九州電力(株)川内原子力発電所 雑固体焼却設備(日本碍子(株)経由)にドラム昇降機他納入。
1983年(昭和58年)6月
東京製作所内に新事務所完成。
1983年(昭和58年)7月
社名を大有株式会社に変更。
1983年(昭和58年)10月
本社を東京都江東区新砂2-2-20に移転。
1984年(昭和59年)6月
東芝(株)富士工場に切削油分離機2セット納入、省力の貢献により感謝状を授かる。
1984年(昭和59年)10月
富士ゼロックス(株)にタンブルリフト納入。
1984年(昭和59年)12月
関西電力(株)高浜原子力発電所(日本碍子(株)経由)に雑固体転倒投入機他納入。
1985年(昭和60年)
自動掛脱装置を考案、製造販売を開始する。
1985年(昭和60年)11月
創立35周年記念式典挙行。​
1988年(昭和63年)1月
動燃事業団(石川島播磨重工業(株)経由)にガラスカートリッジ供給装置を納入。
NHKのニュースでテレビ放映される。
1988年(昭和63年)4月
菊池武英、発明考案功労により、勲五等瑞宝章を授かる。
1988年(昭和63年)11月
浅田鉄工(株)にドラム缶自動輸送装置納入。
1988年(昭和63年)12月
動燃事業団 敦賀(三井造船(株)経由)に排出ボックス他納入。
1989年(平成元年)1月
住友電気工業(株)にZ型投入装置納入。
1989年(平成元年)2月
三井東圧化学(株)に原料ストック投入装置納入。
1989年(平成元年)4月
動燃事業団に特殊台車納入。
1989年(平成元年)5月
ホソカワミクロン(株)にタンブルリフトを合計16台納入。
1989年(平成元年)5月
東京電力(株)福島第一原子力発電所(日本碍子(株)経由)に、
ドラムハンドリング装置、ドラムキャッピング装置他納入。
1990年(平成2年)1月
湊アルミニウム工業(株)にドラム缶自動搬送装置納入。
1990年(平成2年)1月
花王(株)(竹本電機計器(株)経由)にタンブルリフト納入。
1990年(平成2年)4月
動燃事業団(日立造船(株)経由)に焼却灰取り出し設備他納入。
1990年(平成2年)7月
原子力研究所(三機工業(株)経由)に灰容器昇降装置納入。
1990年(平成2年)7月
名古屋営業所、名古屋製作所、新築完成。
1990年(平成2年)10月
三友プラントサービス(株)に産業廃棄物処理装置を納入。
1990年(平成2年)11月
創立40周年記念式典をホテルグランドパレスにて行う。
1991年(平成3年)5月
資本金1000万円に増資。
1991年(平成3年)5月
中部電力(株)浜岡原子力発電所(日本碍子(株)経由)に雑固体投入機納入。
1991年(平成3年)10月
ホソカワミクロン(株)に米国サウスカロライナ、三田工業(株)向け反転機を納入。
1992年(平成4年)3月
三洋電機(株)徳島工場(浅田鉄工(株)経由)に自動搬送装置納入。
1992年(平成4年)3月
湯浅電池(株)長田野工場にEXP打抜投入装置納入。
1992年(平成4年)4月
セイコーエプソン(株)(ホソカワミクロン(株)経由)にタンブルリフトを6基納入。
1992年(平成4年)6月
中部電力(株)浜岡原子力発電所(日本碍子(株))にドラムリフトクランプ1トン型を納入。
1992年(平成4年)6月
湘南営業所に製品倉庫を新設。
2003年(平成15年)
本社を東京都江東区新砂3-2-5に移す。
2008年(平成20年)
関西支店を兵庫県西宮市上田中町17-21に移す。
2011年(平成23年)
粉体工業展にてリチウム電池関連他の粉体搬送装置の評価実績を得る。
2013年(平成25年)
20日、新製品フレコンバックブレーカー開発の件で、東京都より経営革新計画の承認を受ける。
2014年(平成26年)4月
1日、新設分割により、100%子会社(大有株式会社)にてマテリアルハンドリング事業を継承する。
2018年(平成30年)7月
本社を千葉県千葉市美浜区新港13 (現在地)に移す。
2019年(令和1年)11月
創立70周年記念式典をセルリアンタワー東急ホテルにて行う。
2020年(令和2年)1月
袋体ブレーカが千葉市の「トライアル発注認定事業」に選出され、千葉市長より表彰を受ける。
2020年(令和2年)2月
押しドリくんが千葉県の「千葉ものづくり認定製品」に選出され、千葉県知事より表彰を受ける。
2020年(令和2年)4月
大有株式会社を存続会社として親会社との吸収合併を行う。
2021年(令和3年)9月
関西支店を大阪府大阪市淀川区西中島3丁目21-5に移す。
2023年(令和5年)6月
株式譲渡より、(株)松愛サービスエンジニアリングを100%子会社化。
1950年(昭和25年)
11月創業
資本金 500万円
社 名 大有商事株式会社
社 長 宮永 進
本 社 東京都中央区西八丁堀1丁4番地神鋼ビル内
工 場 東京都江東区南砂町4丁目625番地
(株)神戸製鋼所社長浅田長平氏の要請により鋼屑の集荷業務を開始する。
1951年(昭和26年)
スクラッププレスを導入する。
1952年(昭和27年)
仮締め機開発により、月産1000トン達成。
1953年(昭和28年)
三菱鋼材(株)に鉄屑の納入を開始する。
1953年(昭和28年)
ドラム缶運搬車「ドラムポーター」を考案、製造販売を開始する。
1953年(昭和28年)8月
転造機を開発し、セメント粉砕用シルペッブの製造を開始、日本セメント(株)に最初に納入する。
続いて、秩父セメント(株)、電気化学工業(株)、第一セメント(株)、日立セメント(株)、に納入する。
1953年(昭和28年)
東京都より発明奨励金を受ける。
1954年(昭和29年)2月
第6回東京都優秀発明展でドラムポーターが努力賞を受賞。
1954年(昭和29年)
足踏みフォークリフト「ポーターリフト」を考案、製造販売を開始する。
1954年(昭和29年)
通産省より発明実施化試験費を交付される。
1954年(昭和29年)7月
全日本発明展でドラムポーターが表彰される。
1954年(昭和29年)
シルペッブ焼入れ油槽火災。
1955年(昭和30年)
大阪に直売店を設け、関西地区の販売を行なわせる。
1955年(昭和30年)10月
第9回発明展でドラムポーターが発明協会長賞を受賞。
1957年(昭和32年)12月
日本アイソトープ協会にポーターリフト及びドラムポーターを納入。原子力関係に進出の最初である。
1958年(昭和33年)
ドラムグリッパーを考案、製造販売を開始する。
1960年(昭和35年)11月
茨城県古河市に土地取得。
1961年(昭和36年)2月
創立10周年記念式典挙行。
1961年(昭和36年)7月
名古屋に直売店を設け、中京地区の販売網を開始する。
1962年(昭和37年)
資本金800万円に増資する。
1962年(昭和37年)4月
8日、本社移転。 東京都千代田区神田駿河台1-2 馬事畜産会館内
1962年(昭和37年)4月
ポーターリフト「エコノミカ」を発売する。
1962年(昭和37年)6月
セメント粉砕用特殊工法スチールボールの製造を開始する。
1963年(昭和38年)4月
菊池武英、ドラム缶運搬装置の発明により、発明協会発明賞を受賞。
1964年(昭和39年)2月
取締役社長 宮永進、多年発明考案の実施化に協力した功労により、東京都より表彰される。
1964年(昭和39年)5月
名古屋営業所および名古屋製作所を設ける。
1964年(昭和39年)6月
タンブルリフトを考案、制作販売を開始する。1号機を宮田工業(株)に納入する。
1964年(昭和39年)
物資活用部を設け、三菱製鋼(株)格下げ鋼材の取扱を始める。
1964年(昭和39年)11月
能率協会P.M優秀製品賞を受賞。(ドラムポーター、ポーターリフト)
1965年(昭和39年)3月
科学技術庁より、発明実施化補助金の交付をうける。
1968年(昭和43年)4月
宮永進、科学技術振興功労により、勲五等雙光旭日章を授かる。
1968年(昭和43年)10月
西宮市に西宮営業所を開設。
1969年(昭和44年)3月
鉄屑部門が分離独立し、(有)三友商事設立。
1969年(昭和44年)4月
平塚市に湘南営業所を開設。
1969年(昭和44年)
動燃事業団 大洗(古川電工(株)経由)に特殊な運搬車を納入。
1969年(昭和44年)8月
社歌「大有の歌」(宮永進作詞)ができる。
1970年(昭和45年)5月
リンクカップリングの製造販売を開始する。
1970年(昭和45年)11月
創立20周年記念式典挙行。
1973年(昭和48年)5月
東芝(株)砂町工場に自動定量秤量機納入。自動省力機械に初めて参入。
1974年(昭和49年)12月
三菱石油(株)水島の重油流出事故で、ドラムグリッパーが大活躍。
1976年(昭和51年)2月
名古屋製作所新工場が完成し、名古屋営業所も同時に移転する。
1976年(昭和51年)3月
動燃事業団にふげん用集合体運搬車納入。
1976年(昭和51年)5月
日本原子力発電株式会社。敦賀原子力発電所(日本碍子(株)経由)に特殊タンブルリフト納入。
(日本ガイシ(株)の原子力産業への進出に協力し、原子力発電所の設備への進出の足掛りとなった。)
1976年(昭和51年)8月
フォークリフト用ドラムグリッパーオート型を考案、製造販売を開始する。
1978年(昭和53年)12月
連続切削油分離機を考案、製造販売を開始する。1号機を藤生製作所に納入する。
これにより藤生製作所は省エネにより群馬県知事賞受賞。
1979年(昭和54年)10月
菊池武英、科学技術の研究業績により東京都より表彰。
1980年(昭和55年)2月
菊池武英、社長に就任。宮永進、会長に就任。
1980年(昭和55年)7月
7日、宮永進会長逝去。社葬を執り行う。
1980年(昭和55年)11月
創立30周年記念式典を行う。
1980年(昭和55年)12月
東京製作所新工場完成。
1981年(昭和56年)4月
菊池武英、ドラム缶リフト運搬車の考案改良の成果により、黄綬褒章を授かる。
1981年(昭和56年)11月
ドラム缶カッターを考案、製造販売を開始する。
1982年(昭和57年)2月
マックス精機(株)にチップクラッシャー付切粉脱油装置を初めて納入。
1982年(昭和57年)11月
西宮営業所を関西支店に所名変更。
1983年(昭和58年)2月
九州電力(株)川内原子力発電所 雑固体焼却設備(日本碍子(株)経由)にドラム昇降機他納入。
1983年(昭和58年)6月
東京製作所内に新事務所完成。
1983年(昭和58年)7月
社名を大有株式会社に変更。
1983年(昭和58年)10月
本社を東京都江東区新砂2-2-20に移転。
1984年(昭和59年)6月
東芝(株)富士工場に切削油分離機2セット納入、省力の貢献により感謝状を授かる。
1984年(昭和59年)10月
富士ゼロックス(株)にタンブルリフト納入。
1984年(昭和59年)12月
関西電力(株)高浜原子力発電所(日本碍子(株)経由)に雑固体転倒投入機他納入。
1985年(昭和60年)
自動掛脱装置を考案、製造販売を開始する。
1985年(昭和60年)11月
創立35周年記念式典挙行。
1988年(昭和63年)1月
動燃事業団(石川島播磨重工業(株)経由)にガラスカートリッジ供給装置を納入。
NHKのニュースでテレビ放映される。
1988年(昭和63年)4月
菊池武英、発明考案功労により、勲五等瑞宝章を授かる。
1988年(昭和63年)11月
浅田鉄工(株)にドラム缶自動搬送装置納入。
1988年(昭和63年)12月
動燃事業団 敦賀(三井造船(株)経由)に排出ボックス他納入。
1989年(平成元年)1月
住友電気工業(株)にZ型投入装置納入。
1989年(平成元年)2月
三井東圧化学(株)に原料ストック投入装置納入。
1989年(平成元年)4月
動燃事業団に特殊台車納入。
1989年(平成元年)5月
ホソカワミクロン(株)にタンブルリフトを合計16台納入。
1989年(平成元年)5月
東京電力(株)福島第一原子力発電所(日本碍子(株)経由)に、
ドラムハンドリング装置、ドラムキャッピング装置他納入。
1990年(平成2年)1月
湊アルミニウム工業(株)にドラム缶自動搬送装置納入。
1990年(平成2年)1月
花王(株)(竹本電機計器(株)経由)にタンブルリフト納入。
1990年(平成2年)4月
動燃事業団(日立造船(株)経由)に焼却灰取り出し設備他納入。
1990年(平成2年)7月
原子力研究所(三機工業(株)経由)に灰容器昇降装置納入。
1990年(平成2年)7月
名古屋営業所、名古屋製作所、新築完成。
1990年(平成2年)10月
三友プラントサービス(株)に産業廃棄物処理装置を納入。
1990年(平成2年)11月
創立40周年記念式典をホテルグランドパレスにて行う。
1991年(平成3年)5月
資本金1000万円に増資。
1991年(平成3年)5月
中部電力(株)浜岡原子力発電所(日本碍子(株)経由)に雑固体投入機納入。
1991年(平成3年)10月
ホソカワミクロン(株)に米国サウスカロライナ、三田工業(株)向け反転機を納入。
1992年(平成4年)3月
三洋電機(株)徳島工場(浅田鉄工(株)経由)に自動搬送装置納入。
1992年(平成4年)3月
湯浅電池(株)長田野工場にEXP打抜投入装置納入。
1992年(平成4年)4月
セイコーエプソン(株)(ホソカワミクロン(株)経由)にタンブルリフトを6基納入。
1992年(平成4年)6月
中部電力(株)浜岡原子力発電所(日本碍子(株))にドラムリフトクランプ1トン型を納入。
1992年(平成4年)6月
湘南営業所に製品倉庫を新設。
2003年(平成15年)
本社を東京都江東区新砂3-2-5に移す。
2008年(平成20年)
関西支店を兵庫県西宮市上田中町17-21に移す。
2011年(平成23年)
粉体工業展にてリチウム電池関連他の粉体搬送装置の評価実績を得る。
2013年(平成25年)12月
20日、新製品フレコンバックブレーカー開発の件で、東京都より経営革新計画の承認を受ける。
2014年(平成26年)4月
1日、新設分割により、100%子会社(大有株式会社)にてマテリアルハンドリング事業を継承する。
2018年(平成30年)7月
本社を千葉県千葉市美浜区新港13 (現在地)に移す。
2019年(令和1年) 11月
創立70周年記念式典をセルリアンタワー東急ホテルにて行う。
2020年(令和2年) 1月
袋体ブレーカが千葉市の「トライアル発注認定事業」に選出され、千葉市長より表彰を受ける。
2020年(令和2年) 2月
押しドリくんが千葉県の「千葉ものづくり認定製品」に選出され、千葉県知事より表彰を受ける。
2020年(令和2年)4月
大有株式会社を存続会社として親会社との吸収合併を行う。
2021年(令和3年)9月
関西支店を大阪府大阪市淀川区西中島3丁目21-5に移す。
2023年(令和5年)6月
株式譲渡より、(株)松愛サービスエンジニアリングを100%子会社化。